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虹原 彩音
遠くから、声が聞こえた。
縋るような、それでいて誰の方向も向いてないような声。
虹原 彩音
沢山の人の声がまじりあったような、いびつな音楽。
あるのかないのかもわからない、ふわふわな体の感覚。
目が見えてるのかもわからない中、意識だけをそっちに向ける。
ふいに――見られていると感じた。
壊れたラジオみたいな合唱を繰り返す『ソレ』は、灰色の、好奇と執着に満ちた目だった。
私を覗いているようだったけど、焦点はどこにも合ってない。
覗こうとしても覗けないような、そうしたいのにできないような、動き。
虹原 彩音
――意識の目を向けて、その心を『覗き込む』
虹原 彩音
反射的に、そうしてしまった。
普段から人に対して、無意識にそうしてしまうように、あっけなく。
虹原 彩音
きょろきょろと目を動かすソレが、なんだかとても困ってるようだから「こうするんだよ」と教えてあげるように。
瞬間――ソレと私が繋がった。
走馬灯のように、記憶が溢れる。
体を貫く全身の衝撃
バラバラになりそうな痛み
血だらけの、もう動かない手と後ろ姿
割れたフロントガラス――
痛み、苦しみ、空虚さ、喪失――
今まで生きてきた中で忘れられない瞬間、忘れることにした時間が永遠と思える長さでココロを切り刻んでいって
虹原 彩音
心が潰される、そう思った瞬間に思わず観る。
『彼』の、人とは構造のちがう精神を無我夢中で――
シュレーディンガー
「おっとー?! ハイ、ハイハイ、ダメダメ! それ以上はややこしくなるから禁止~!!」
能天気な子供の声。
ノイズのような走馬灯は急に止んで、ふと目を上げると小さな猫がふよふよと浮いていた。
虹原 彩音
「こんにちは、猫さん」
よく考えずに声が出た。
我ながら随分の能天気なことだと思ったけど向こうは更に能天気な調子で返す。
シュレーディンガー
「どうもこんにちは、ニンゲンさん、名前は――アヤネだね。心が読めるオーヴァード! 今ダンタリオンと喧嘩中~! シシシ」
虹原 彩音
面食らって言葉に詰まる。
どうやら向こうは私を――本当に良く知ってるみたい。
虹原 彩音
「ええと――助けてくれた、の?」
虹原 彩音
「えーと、うん、心が読める、は正解? ダンタリオンっていうのはこの目玉さん?」
シュレーディンガー
「うん、話が早いようで何より。
今キミ無理矢理、契約迫られてたでしょ? ごめんねー、コイツ悪魔の中でも無茶苦茶でさ」
気付くと辺りの時間が目玉の怪物も含めて止まっていた。
虹原 彩音
「悪魔って――」
思ったことをそのまま口に出す。
うん、あれこれ考えるよりこの方がよさそう。
「願い叶えるかわりに魂よこせー、の?」
シュレーディンガー
「うん、本来なら、ね」
尻尾を寝かせて猫が答える
シュレーディンガー
「コイツは元々人と契約して、感情や心を学ぶ奴だったんだけど――」
「今じゃおかしくなって、だれかれ構わず取り殺す怪物でね」
シュレーディンガー
「死にそうになると悪魔の契約も乱発していろんな人間に悪夢見せて、契約名目で支配して自分が動くための燃料にするんだ。
キミみたいな特別な力の持ち主をね」
シュレーディンガー
「でも君は運がいい、キミの力は特別中の特別だからね。
アイツもそう簡単に自由に出来ないから、調停役の悪魔(ボク)が間に入ってある程度、運命を選べる――」
虹原 彩音
そのまま、話を聞く。
――結論から言う、どうやら、私は大分幸運だったらしい。
この猫さん悪魔のいうことによると、
この目玉の悪魔は私の心縛って潰そうとしていたのだけれど。
私の『心に潜って繋げる』チカラは、目玉の『心を断ち切って支配する』チカラととても相性が悪いらしく。
このままだと私も悪魔も死んでしまうので、何とかするために猫さんが間に入ってくれるとのことだった。
シュレーディンガー
「……っと、そういうこと。
アイツに飲み込まれたオーヴァードでも、キミだけは『巻き込まなかったこと』にできるよ」
シュレーディンガー
「記憶も多少混乱するだろうけど、影響なく帰れる、キミの日常にね」
虹原 彩音
「なら――」
お願いします、と言いかけてとっさに口をつぐむ。
虹原 彩音
「ええと、ちょっと待って」
お願いしようと思って、引っかかった。
“アイツに飲み込まれたオーヴァードでも、キミ『だけ』は”。
いやな予感がした。
虹原 彩音
「他にも飲み込まれた人がいるの?」
もしも、私が悪魔に逢ったなら。
もしこの朧げな記憶が確かなら――
シュレーディンガー
「んー?
うん、アイツの復活には最低4人、必要らしくってね」
「キミ含めて5人、オーヴァードが飲まれてるけど」
そういうと猫さんは動いて、私の意識を外に向けてくれた。
シュレーディンガー
「ま、キミには関係ないことさ。
キミがいなくなってもまだ4人。ここからはこの4人とダンタリオンの我慢くらべさ」
虹原 彩音
空間にふよふよと浮かぶ4人の人影
虹原 彩音
ポニーテールのすらっとした男の子――美術館に入る時にアナウンスしてた人。自信ありげで、でも人懐こい印象だった。
虹原 彩音
メガネのお兄さん――やさしい人。迷子に声をかけてたっけ、心は常に苦しそうで真っ暗だった人。
虹原 彩音
しぃちゃん――私の大事な友達。よく笑うけど心はいつも悲しそうで、ほっとけなくて。
虹原 彩音
そして――
虹原 彩音
「ねー、猫さん」暫く目を伏せて、ようやく口に出す
シュレーディンガー
「ん?」
虹原 彩音
「私を『巻き込まれなかった』ことにできるなら、私は絶対『巻き込まれる』ことにも出来るの?」
シュレーディンガー
「なんだそれ。まぁ出来るよ、元々ボクは契約者のエラーを治す悪魔だ。
ダンタリオンの支配は契約を歪めて取り込んでるから――キミを支配、いやこの場合は融合かな? させることはできるけど」
大層驚いた様子で言葉を返す
シュレーディンガー
「正気かい? 聞き間違いじゃなきゃ、キミは『今生きて帰るより、バケモノになって生きていきたい』と言ってるんだけれど……あの4人の中の誰かに殺したいやつでもいるのー?」
虹原 彩音
「ううん、違うよ」
かわいい声での物騒な物言いに、おかしくなってちょっとふきだしてしまう。
うん、そうか。そういう風に、見えるよね
虹原 彩音
「逆だよ、私が一緒になれば――もうこの目玉さん、悪いことできなくなりそうだなーって思い付いちゃって。
それに――」
虹原 彩音
「私はもう怪物だから、今更、ね?」
嘘偽りない本心で、返す。
シュレーディンガー
「何だいそりゃ、ますます不可解だ、キミが何する気か知らないけど、アイツのトラウマの牢獄を抜けて出てきたニンゲンはいないし――
それにキミが、キミのいう悪さを止めることに成功したら――“ダンタリオン”は死ぬ。融合した、キミ自身もね」
虹原 彩音
「うん、私は、それがいいかな」
そう、これが一番いい。
さっき一瞬触れた時に、理解した。
確かにニンゲンとは大きく違う種類の存在だけど、私と目玉さんはよく似てる。
人の心が見えるけど、わからなくて、ズルしながら生きてる――醜い怪物。
違うのは、私の方がちょっと要領がいいだけ。
そして怪物な私と付き合ってくれる、もの好きで大切な仲間がいることだけ。
虹原 彩音
それに、私は知ってしまった。
あの悪魔が何をするのかを。
私の一番大切な人、私のヒーロー、カッコよくて不器用で誰より優しい幼馴染に。
―――いつだったかの教会で、彼女が私に重ねてくれた、私が重ねた小さな手のひらを思い出す。
虹原 彩音
「私の大切な人に、酷いことされるの許せないもん。
それにニンゲンは強いよ、ひとりでは無理でも――誰かが隣にいれば、ね。案外するっとトラウマだって超えていけちゃうもんなんだよ、猫さん」
虹原 彩音
「だから私は悪魔になるの。
悪魔になって、一緒に悪いことして――最後には負けて、皆の勝ち。それが私の望み、私の一世一代の大ばくち」
虹原 彩音
「どう? お願いできないかな?」
シュレーディンガー
「わかった、それがキミの選択なら、今から君は”ダンタリオン”だ」
虹原 彩音
「うん、ありがとう。ごめんね、面倒なお願いして」
シュレーディンガー
「別に契約としては適正さ、命がけて賭けをして皆も救う、ね。
にしても、ヨクバリだね、キミも。まぁ『融合する契約(ソレ)』になんの意味があるのか、ボクには理解できないけど」
シュレーディンガー
「じゃあ契約は――成立だ。ボクも参加者として、確かめるとしよう、キミの選択をね」
虹原 彩音
猫さんの手が離れる、心と体と記憶がバラバラになっていく。
これから私は、違うモノになる、もう皆とは会えないだろう、でも――それでも、
「やりたいって思ったら、止められないよね――ごめんね。きょーちゃん。しーちゃん」
眼前には真っ黒な部屋、トラウマの責め苦、悪魔の捕食所。
そこに私は橋を架ける。
祈りの間、大切な思い出の礼拝堂、ここは私のお城。
文字通り人生の、全ての色彩を賭けた幻想の城。
シュレーディンガー
「おっと? あれ? 見られてたかな?」
シュレーディンガー
「聞かれてたかな? まぁいいや、きっとここでこの話を聞く『キミ』はもうやることは決まってるのだろうし 」
シュレーディンガー
「ボクとはもう会うこともない、だろうしね、シシシシ!」
シュレーディンガー
「頑張ってくれよ、君達。ここまで来たらこのボクも――ハッピーエンドが見たいのさ!」